From:桜井啓太
越後湯沢へ行く新幹線より、、、
セールスライターなら、「ピアノ・レター」というスワイプを知っているはずです。
「あいつがピアノなんて弾けるのか?」という観衆の嘲笑をよそに、見事なピアノ演奏をする主人公。
それまでバカにしていたはずの人たちが「どうしてそこまで上手くなったのか教えて」と羨望の眼差しで見てくるようになり、、、
「その秘密は教材にあった」としてセールスへ移るレターです。
これは「スター・ストーリー・ソリューション」という種類のスワイプ。大逆転という物語の型を使うことで、読み手のコンプレックスや優越感といった感情を刺激する名作です。
実は僕、これに近いことをやったことがあるんです。
それは高校時代のこと…
無謀にもほどがある
高校2年生の1学期のこと。
とある日のホームルームは、沈黙に包まれていました。
議題は「合唱コンクール」。自由曲の伴奏者を決めるというところで、会議がストップしました。
曲目は決まっていました。「夜空ノムコウ」です。去年解散してしまったSMAPの名曲。一番と言ってもいいんじゃないでしょうか。
当時、2000年は前年に嵐がデビューしたものの、ジャニーズ人気としてはSMAPがまだまだ強かったです。ミーハー気質があったからか、合唱曲にジャニーズを選んだ我が2年6組。
選んだはいいが、ピアノ伴奏者に名乗り出る生徒がいない。ピアノ経験があった女子は何人もいたはずですが、まあたいていが「昔習ってた」くらいだったようで。いまさらもう一度練習し直して…という気分ではなかったのかもしれません。
うちの高校は、入学偏差値こそ学区内で2番目でした。「お祭り学校」として地域では有名で、「入ったら楽しい」というイメージがあったからですね。
しかし入ったら入ったで誰も勉強しないという…。手前味噌ですが、同期の早稲田合格が1名(僕)、慶応が0名、上智が2名(僕と帰国子女の梶原さん)という体たらく。
これは自慢したいんじゃなくて、学区2位の高校だとありえないってことを言いたいのです。
まあとにかくそんな学校ですので、勉強はできないし僕含め授業もあまり真面目に受けません。そんな感じなので、委員長とか生徒会とか、実行委員をやるのもみんな消極的だったんです。
さて、そんなことより目の前の我慢大会。
教室を重苦しい空気が流れ続ける。委員長の「誰かやりませんか」という発言から数分が経ち…。ようやく一人の生徒が我慢の限界を迎え、手を挙げた。
その生徒の名は、桜井啓太。ちなみにピアノ歴0秒。
なんで俺に任せるんだ
最初は出来心でした。
ピアノ歴0秒の僕が手挙げれば、見かねて経験者がやるっていうだろうという考えです。ダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」の最初に一人になろうと思ったんです。誰かが手を挙げれば、喜んで「どうぞどうぞ」する気でした。
が、誰も手を挙げない。
僕はちゃんと言いました。「ピアノやったことないよ。いいの?」って。
でも、誰も手を挙げない。
「どういうことやねん」と思いました。それで委員長が、「じゃあ桜井くんってことで…」と会議を終わらせようとしました。
おいおい、おかしいでしょう。
ピアノ歴0秒だよ?本番まで1ヶ月ちょっとでしょ?間に合うと思うの?ちなみに楽譜なんて読めないよ?
でも、会議が終わりました。見事に伴奏者に選ばれました!
いや、これどうすんのよ。
挑戦の日々
仕方ない。やるといったからにはやらねば。
ピアノなんて幼稚園のおゆうぎかい(ピアニカ)ぶりだった僕は、まず中学の友人(後日音大に合格)に教えを請いにいきました。
友人からは「3つ同時に押す」方法を習いました。いや、ホントそういうレベルからだったんですよね。
楽譜を見て、「これはドとミとソを押せってことだな」と理解しました。そして押しました。次はなんですか?という感じで、少しずつ「押し方」を覚えていきました。
右手と左手をバラバラに動かすのが難しかったです。しかし中学で卒業ライブなるものを催し、そこでドラムを担当していた僕は、持ち前の音楽の才能?で何とかこなしていきました。
高1のときは軽音部でギターとかやってましたし、幸いある程度のリズム感くらいはあったかもしれません。
一応、別の友人から電子キーボードを借りて自宅に設置。練習をしていました。最初は余裕をぶっこいて「この調子なら間に合うだろ」とか思ってました。
最初は合唱の練習もパート練習だけで、伴奏者の出番があまりありませんでした。だからできていなくても良かったんです。全体練習までに間に合わせればいいだろう、とタカをくくってました。
ところが一日、また一日と時間は過ぎていき…
本番3日前を迎えました。
本番3日前の大恥
全体練習。「じゃ、通そうか」という流れになりました。そりゃ、通し練習しないとダメだよね。
その場で僕は…
まったく弾けませんでした。
部分ごとは良かったのだと思いますが、通しで弾けません。途中で詰まります。そうすると歌も止まりますよね。
そんなことを繰り返し、本番会場であるホールで行う練習でも弾ききれませんでした。
当然、心配されます。
みんなの心配する目…。それを僕はとても冷たく感じていました。
そこで気づいたんです。
「あれ、これやばくね?」
このままでは伴奏者として僕が大恥をかくのはもちろん、まともに歌えずクラスの評価も下がるでしょう。というか、伴奏者が「弾けない」なんて合唱コンは見たことがない。中学から数えて5回目のコンクールでしたが、そんな無残なクラスは1つもありませんでした。
それからの残された3日間…。
僕は全てを投げ捨てて、ピアノ練習室にこもりました。多少授業をサボったような気もします。でも仕方ないですよね。目の前のタフな状況を何とかしなくてはいけないのだから…。
クラスからは同情の声。指揮者の子(女子)は何回も様子を見に来てくれました。っていうか、お前ピアノ経験者なんだから代わりにやればいいのに。
3日間は、朝から夕方限界までこもりました。
っていうかこの夜空ノムコウ、なんでご丁寧にピアノソロもついてんのよ!上手な人なら見せ場なんでしょうが、僕は泣きながら練習をすることなっただけ。ジャーン、ジャーンってリズムよく押してればそれで大丈夫だと思ってたのに…
大緊張の本番
そうやって迎えた合唱コンクール当日。
こんな状況は到底「ドラマティックなピアニストデビュー」なんてものではなかった。会場を埋め尽くした全校生徒は、ある意味驚愕していたことだろう。僕はめちゃくちゃ自信なさげにピアノに向かって歩を進め、その前に座った。
さすがにくすくす笑うものはいなかったが、僕がきちんと弾けると思った人もいなかったはずだ。だって僕は人生でピアノを人前で一音でも弾いたことがなかったからだ。
死ぬほど心配そうな目の中、ガチガチに緊張したままの僕は、脇目もふらずまっすぐに椅子に座った。さらに、見てみて欲しい。目の前に置いた楽譜に一切目をやろうともしていない。そんな余裕がないのだ。
僕の頭の中から「これはいったい何の真似だ?」という声が聴こえるようだった。そう、この瞬間、一番後悔しているのは僕自身だ。なんで手を挙げてしまったんだろう。できもしないことをやるなんて言わなければ、こんな不安な思いはしていないはずだ。
でも、もう曲がはじまってしまう。たぶん指揮者が合図をしたのだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。むしろお前らが俺に合わせろ!意を決して僕は弾きはじめた…
ピアノを弾き始めると
…と、もうピアノ・コピーのスワイプを使うのはいいでしょう。結果は、
まあまあの勝利!
でした。
何とか止まらずに最後まで弾けたし、合唱を途中で止めるという事態にはなりませんでした。もしかしたら指揮者や他のみんなが暴走する僕のリズムに合わせてくれた、なんてことはあるかもしれませんが、まあとにかく、終わったわけです。
音楽の先生からはコンクール後、「よく頑張ったな」と言われました。合唱コンでは「伴奏者賞」といって一番うまいピアニストが表彰されますが、もちろん選ばれず。それどころか、7クラス中7位だったと思います。
でもそれでいいんです。僕は大満足でした。
なにせ、ピアノ歴0の状態からの挑戦です。最初はできるとタカをくくっていたが、中盤あやしくなっていた。その時の焦りぶりは今思い出してもやばかったと思います。血の気が引くとはあのことでしょう。
しかしそれだけ終わってみての満足感はすごかったし、もしかしたら金賞を取れたクラスの伴奏者より上だったのではないかと思うくらいです。
では、なぜそんなことができたのでしょうか?
手を挙げてから考える
高校の時、思い切って手を挙げることができたあの勇気は、実はセールスライターとしても役に立っていると断言できます。
この話は、昨日チームで飲んでいる時、メンバーの杉下さんから言われて思い出したものです(写真を参照)。
「桜井さんすごいんですよ!!」といきなり言い出したので酔ってんのかな、と思ったら「ピアノの話が印象に残っている」とのこと。確かに前に一度お伝えしたことがありましたね。
なぜセールスライターに関係があるかというと、その勇気がそのまま「僕が今このチームにいる理由」だからです。つまり、できるかどうか分からないけど手を挙げたから、結果として今こうやってセールスライターをやれているという事実。
これは似たような話が宮川さんにもスライム日向さんにもあります。宮川さんは楠瀬さんから「社長をやってほしい」と言われて二つ返事でOK。日向さんは今みたいな組織がない頃に「とにかく事務所に来てくれ」と言われてOK。
二人からその様子を聞くと、僕は「そんな無謀なこと…」と思ったんです。でも、よくよく考えてみたら自分も同じでした。
ピアノもそうだし、楠瀬さんから「来年からチームの一員に」と言われたときもそう。できるかどうか、スキルが追いついているかなんて、分かりませんでした。でも「やる」と言った。
もちろん最初の挑戦は大失敗だったかもしれない。けれど、ズタボロになりながらでも改善を重ね、後からスキルを追いつかせようともがいている。僕の周りのメンバーは、みんなそんな人です。
だから、そんな僕からこれを読んでいるあなたへ言えること。それは、「セールスライターになりたいのなら、まずは突っ込んでこい」ということです。もちろん仕事をいきなり辞めるわけにもいきません。家族を捨てろ、ということでもありません。
どうせマーケティングは失敗の繰り返しです。
- セールスライターとして無謀と思えるかもしれないような「挙手」をし、
- それでも決して見捨てられることがなく
- 挑戦を担保されている安全安心の場所
それがうちのパートナー養成会です。詳しくはこちらを見てください。
PS
ですが、募集は若干名です。いつ、募集を停止するかわかりません。
チェックするなら、早めの方がいいかもしれません。
PS2
そういや楠瀬さんも、小川さん相手に「セミナーをやる」とぶちまけ、その結果大惨敗だったようです。もしかしたらセールスライターとして成功するかしないかは、今日の話が本質だったのかもしれませんね。