From:桜井啓太
恵比寿のオフィスより
僕はもともと起業して社長をやっていました。
その後セールスライターを目指したのですが、実は当時、セールスライター以外の選択肢があったんです。
それは、意外や意外、「公務員」です。
僕の住んでいた横浜市には社会人採用がありました。そこに応募してみることにしたのです。「社長」などという、不安定かつ自分次第という職業の「対極」に憧れた、ということが大きかったかもしれません。
というわけで代表取締役退職を決意した2015年8月、その秋に実施される社会人採用に応募することを決意したのです…
1次試験:筆記
採用試験は、全部で3次までありました。
1次:筆記
2次:面接+論文
3次:面接
このような流れでした。
まず対策を開始したのは筆記です。とにもかくにも、筆記を攻略しないとお話をするところまでいかないわけです。僕は仕事柄(塾講師)話をするのには慣れていたので、筆記をクリアしさえすれば何とかなると考えていました。
そこで僕は、徹底的に筆記試験対策をはじめました。塾講師でもありましたから、こういうのはお手の物だったんですよね。
まず薄めの試験対策本を買ってきて、毎日仕事の後に2時間勉強をしました。分量は、残り期間で2周できるようなペースを1日あたりに分割していった感じで決めました。
試験直前の9月連休(7日間)は、もう一冊買ってきてラストスパートです。社長としての仕事は全て外しておき、この7日間はひたすら朝から夜まで問題集を解いていました。
その結果、見事40点中39点を獲得し、1次試験突破を決めました!
2次試験:面接+論文
まず2次試験に反映される論文は、実際は1次試験と同時に実施されるものでした。なので論文対策も合わせてやっていました。
この論文に関しては、1冊だけ対策本をやっておきました。論文は得意だと思っていたし、それくらいでいいんだろうと思っていたんですよね。
それよりは面接は徹底的に対策したい!と考え、某予備校の通信講座を受講しました。通学コースは10万円以上かかりましたが、通信なら3万円くらいで済んだからです。
当日は満を持して面接に臨みました。前日に下見に行くほどの念の入れようです。
そこまでやればさぞかし余裕で2次試験を突破できるだろう、と思ったのですが…
敗北
結果は不合格…。合格ラインから5点ほど足りなかったです。
「あんだけ対策したのにおかしいだろう!」と、正直思いました。でも配点を見てみると、足を引っ張ったのはなんと論文でした。
後のセールスライターなのにも関わらず、ライティングで失敗していたのです。
とはいえ当時はセールスライティングを勉強していなかった頃。だから今思えば、「どうしてあの時セールスライティングを勉強しておかなかったのだろう」と、心底悔しいです。
なぜなら…
リサーチが足りていなかった
当時は、「俺の鋭い視点見てよ」という気分で論文を書いていました。いや、マジの話です。「ほら読んでみ、経営者も経験した俺のこの論文スゴイでしょ」という感じです。冗談じゃなく、そんなノリで油断しきっていたのは事実です。
でも、それは読み手の相手のことを考えていなかったということがセールスライターになってから分かりました。
というのも、論文を読む相手は横浜市役所の人であり、民間企業の経営者ではないからです。彼らがいったいどんな基準で採点しているかとか、どういうことを書いてほしいかといったことは一切考えていませんでした。
マーケティングでいえば、大惨敗。不合格通知をもらったときはなんでそんなに点数が低いのか、まったく理解できませんでした。だから、もし再度チャンスがあったとしても、どう直せば良さそうかといった仮説すら思い浮かばない状態です。
ライティングを舐めるな
筆記試験は、単に正解を選べば点数がもらえてクリアできます。面接に関しては、メラビアンの法則にあるように内容は6%しか影響しない。それよりも話し方だとか、表情などでカバーもできます。
でも論文(ライティング)だけはごまかしが効かなかったのです。他のどんなことでも一切カバーできない。自分がどう考え、どう文字にしたか。それだけで勝負がついてしまうジャンルになります。
いかに自分がそれまで論文を舐めていたのかがはっきりと意識できました。
そしてもちろん、セールスライティングはさらに難しいものになります。試験とは違い、テクニックだけではますます良い結果が得られない、そういう世界だからです。
むしろテクニックに頼り、読み手を操ろうとしてしまうと、下手なライターなら逆効果。なんだか気持ち悪いコピーになり、商品は売れず、企業の信頼を落としかねません。
セールスライティングで就職もできる
裏返せば、セールスライティングで教わっていることは、こうした論文にも応用できます。要するに読み手が求めていることを突き止めるのです。それをリサーチと呼びます。リサーチが完璧ならば、当時僕は横浜市に受かったと今でも思っています。
そして何よりも、「横浜市役所にどうしても入りたい、横浜市民に貢献したい」という気持ちをもっと強く持つべきだったと反省しています。やっぱり、そういう心に秘めた想いが、言葉の一つ一つにこめられていくと思うからです。
もし仮にまた横浜市役所を受けるときが来たら、そういうマインドセットの部分から作り変えて挑戦しようと考えています。というのも当時の僕に、そういう熱い気持ちがあったかというととても自信がないからです。
だって、市役所で働きたかった本音の理由って、「隣が横浜スタジアムだから」だったのですから。
オススメ
昔の恥ずかしい話をするのは、ちょっと勇気がいるもんです。僕が公務員を目指してたなんて、今思うと信じられない…
でも、この人の過去のほうがよっぽどヤバイです。セールスライター内で「ポンコツ」として有名なこの人の昔話はこちら↓