2024/06/10

偉大な起業家が逝く時

From:宮川徳生

先週、ウチの別事業で
すごくお世話になった社長が亡くなった。

そして、その一報が
その事業を担当しているメンバーから
先週7日に共有された。

その社長は
飲み水に困っている世界100ヵ国に
水質浄化剤を展開しており

「世界の水問題」

に、命をかけて取り組んでいた。

御歳83歳だった。

負債20億から
世界100カ国に展開するまでになった
その経営手腕はもちろんのこと

途上国にサービス提供インフラを構築したりする
その卓越したマネジメント力はすごく

我々はその経営ノウハウや
経営者としての在り方をもっと広めるべきと考え
企業視察ツアーを5月に企画して募集もしていた。

だが、直前になり
急遽、社長の体調が悪化。

視察ツアーは中止となった。

「絶対に実現したいよね」

そんなことを言ってる矢先
急逝してしまった。

担当から亡くなったことの共有が
先週7日にされたわけだが
そのメッセージになんと返信していいかわからず
まだ返信ができていない。

5月22日に企業視察が予定されており
体調悪化の一報を秘書の方より受けたのが
5月8日。

その後、5月16日に
ご本人から連絡があり

・今回の体調不良で手術入院しなければ
 余命1ヶ月ないこと

・今回手術をすれば余命は半年ほど伸びるそうだが
 そうするともう病床から起きれなくなること

・そうしたらもう動けなくなるので
 まだまだやり残しがいっぱいある中で
 そんなことはできないという断固たる覚悟

・ウチの担当の深井に対して
 「深井さんを応援したいから力になれることがあれば
  なんでも言ってくれ」と言ってくれたこと

・最後の大仕事として
 ガザの問題を水質浄化剤で休戦させようと
 アメリカ大使館やイスラエル政府に掛け合ってること

・それをやり切って逝けるなら本望だと
 笑って伝えてこられたこと

こんなことを
直接連絡いただいた。

きっと、まだまだ
やり残したことがあっただろうが
6月6日亡くなった。

僕は、直接
社長と仲良くさせてもらっていたわけではなく
ウチの深井がよくしてもらっていたため
深井経由で社長の話を聞いていただけだが…

社長の生き様を見せつけられ
単純に思ったことがある。

それは…

自分が死んだ時
周りはどう思うのだろうか?

日本にいるとわからないが
蛇口をひねれば飲める水が出てくる国は
世界にたった9カ国しかない。

日本はとても水が綺麗で豊かで
水に困ったことはないわけだが
世界は違う。

飲み水を確保すること自体が
とても困難な国がたくさんある。

世界100カ国。

言葉にしたら
簡単なことかもしれないが
世界100カ国の水問題を解決してきた社長は
一体どれだけの人に影響を与えたのだろうか。

どれだけの命を救ったのだろうか。

僕は7つの習慣にかなり影響を受けているのもあり
コヴィー博士が「第8の習慣」として提供した

“レガシーを残せ”

というメッセージを
すごく意識して生きている。

レガシーとは
自分の生きた足跡だったり
生きた証だったり

抽象的な概念ではあるが
そうした意味合いのことだ。

社長は確実にレガシーを残した。

社長によって救われた命
これから救われる命は1万や10万じゃきかないだろう。

数百万数千万数億人もの命を
救ったんじゃないだろうか。

美味しい水が当たり前に飲める。

当たり前の幸せを
一体どれだけの人に残したのだろうか。

僕を含めて
ビジネスをやる目的は
「成功」のためなのだと思う。

「成功」のために
ビジネスをやるのだと思う。

だが、時たま考えることがある。

「成功」とは
何のことなのだろうか。

「成功」とは
どういう状態を指すのだろうか。

何がどうなれば
「成功」なのだろうか。

おそらくあなたは
起業マーケットみたいな市場で
情報を得ていると思う。

その市場の人たちが言うには
成功とは

・お金をたくさん稼ぐこと
・回らない寿司を食べること
・高い車に乗れること
・いい家に住めること
・モテること
・権威と一緒にパーティーに出ること
・いいホテルに泊まること
・年中旅してること
・いいスーツを着ること
・高い時計を身につけること
・ドバイに住むこと
・タワマンに住むこと
・1億稼いで億超えすること

彼らのSNSや
セールスレターを見ると
成功とはどうやらそういうことらしい。

でも、こうした人たちを見て思うのは
それって結局「エゴ」を満たしてるだけでしかない。

それは果たして
「成功」なのだろうか?

と僕は疑問に思うし
そんなのは成功だとは思わない。

なぜなら
ビジネスというのは
自分を満たすことが目的なのではなく
誰かを満たすことが目的だからだ。

だからこそ当たり前だが

人が死ぬ時
「あいつは一体いくら稼いだんだろうね」
なんて話をする奴はいない。

あいつは
生涯年収が100億円あったらしいよ
とか

あいつは
お金持ちになってドバイに移住したらしいよ
とか

あいつは
いい家に住み、いい車に乗り、モテたらしいよ
とか

人が死んだ時
こんな話をするのは
どうしようもないバカしかしない。

人が死んだ時
周りの人が故人に対してする話は
決して金儲けした話じゃない。

そうではなく
その人が何を成し得たのか?
何を残したのか?
どんな人間だったか?
どんな生き方をしたのか?

人が死んだ時
周りの人がする話は
そうした話だ。

つまり、その人が
どんな生きた証を残したか?だ。

金を儲けたとか
そんなことは人生において
大して重要なことではない。

もちろん
金は大事だ。

金がなければ
生きていけないし
金がなければしなくていい苦労をする羽目になる

だから、金は大事だ。

だが、人生において金は重要ではない。

金は人生において
重要なことをなすための道具にしか過ぎない。

マーケティングや
セールスライティングを学べば
確かに金を稼ぐことはできる。

でも、金だけ稼いで
何も残せていない人生だった場合
死の間際「充実した人生だった」と思って
逝くことはできるのだろうか?

特に今の時代
SNSをひらけば「金儲け」を煽り
情弱から金を巻き上げ「金」という尺度でしか幸福を見ていない
拝金主義の人がとても目立つようになったと感じる。

でも、それでいいんだろうか。

僕はそうは思わない。

人生において重要なことは
決して金をいくら稼いだか?
ではない。

人生において重要なことは
何を残したか?だ。

社長が残したことは
本当に大きい。

世界中の何千万人とか何億人という人の
「命」に対して影響を残したわけだから
それと同じ大きさのレガシーを残すことは
難しいことだろう。

でも、社長からもらった
最後のメッセージを見て
レガシーとは大きさが重要ではないことに気づかされた。

どれだけ大きなレガシーを残したか?
どれだけ大きなレガシーを残そうとしてるか?

ではなく

大切なことは
自分自身がどんなレガシーを残したいか?
自分自身がどんな生きた証を残したいか?

起業家として
それに従って生きることが
何よりも大切なことだと教えてもらった。

社長の本当に晩年を
仕事を一緒にさせてもらうことで
本当の起業家の生き様というものを
言葉ではなく行動で見せてもらった。

素直に
僕もこんな生き方をしたいと思った。

かっこいい生き様だと思った。

どんな起業家として
オレは生きているのか?

オレは、起業家として
どんなレガシーを残そうとしてるのか?

オレが死んだ時
周りの人はどう思うだろうか?

あなたはどうだろうか?
あなたのレガシーは?あなたの足跡は?
あなたの生きた証は?

あなたは何を残すために
今、ビジネスをしているのだろうか?

なぜ、起業したのだろうか?

きっとそれは
金が本当の目的じゃなかったはずだ。

あなたにとって本当に大事なことは何か?

ぜひ、一度
考えてみてほしい。

というか
思い出してほしいと思った。

そして、それに従って
生きてみてほしいと思った。

いっぱいお金を稼ぐことが大事なことか?

きっとそうじゃない。

きっと
稼いだお金で家族を笑顔にすることが
あなたにとって大事なのことだったのではないか?

あなたにしか残せないレガシーが
きっとあるはずだ。

あなたは起業家として
どんなレガシーを残したいか?