2019/04/22

これが、最後の記事です

The Sales Writer執筆陣をやっていました。
角(すみ)です。
 
やっていました?
過去形?
はい、過去形です。
 
これを読んでいるころ、
私はもう、The Sales Writerの執筆陣を、
外れています。
 
なので、
これが、私の最後の記事になります。
 
念のため、お断りしておくと、
 
『問題発言が多いから、外された』
 
と言うような話ではありませんよ。
 
実は、5月でセールスライターを廃業します。
なので、もう記事を書くことはないのです。
この、The Sales Writerでは。
 
そういうわけなので、今回は、
2年4か月、プラスアルファの、
セールスライター生活を、振り返ります。
 
今回は、全開の自分語りを、お許しください。
 

私が、セールスライティングを学び始めたワケ

好きな時間、好きな場所、好きな相手と―
収入も、ある程度思いのまま―
だから、将来の不安から解放される―
 
と、言う動機ではなかったですね。
話せば長くなるので、適度に省略しますが。
 
もともと、私は研究者だったのです。
ご存じの方もいれば、
そうでない方もいると思いますが。
 
それでお給料をいただいていたこともあります。
ただ、そのお仕事が、期限付きのお仕事で。
 
ザックリ言えば、
 
研究で得られた知見を、
モノとして形にして、
仕様を満たした製品にして、
付加価値を乗せた商品として売る、
そんなベンチャーを興す、
 
と言うプロジェクトに従事していました。
 
見ての通り、期待した通りの結果にはならず、
こうして、お仕事は終わっているわけです。
 

「売れなければすべてはムダ」

セールスライティングを学んだ人なら。
一度は、見たことがあるフレーズだと思います。
 
いくら、いいモノ、サービスを作っても。
売れなければ、すべて無駄。
お客さんに届かなければ、意味がない。
 
当時、目にしたビデオセールスレターで、
そう言われて、妙に納得したものです。
あまりにも、耳に痛いことばかりで……
 
その結果―
『これを学ばなければいけない。』
そう思って、一冊の本を買いました。
タイトルは、お察しの通りです。
 

実際に勉強を始めたのは……

本当のことを言うと。
その本を買ったのは、
前の仕事を始めた頃だったのですが。
しばらくは、お蔵入り……
 
その後、その仕事をやめたころに、
ブーメランの入った封筒が届きました。
そして、100円で売ってくれると言うので、別の本を買ったのです。
 
それから、セールスライティングの勉強を、
始めることになりました。

あの頃は、限界を迎えそうでした

あまり、やめた理由をいいたくないですが。
「話が違った」ということです。
 
あいまいな表現を、使いたくないです。
わかりにくくなるので。
 
そうは言っても、具体的な描写をすると、
結果的に、特定の組織への攻撃になります。
 
ダメージになるのは、
いわれのない誹謗中傷だけとは限りませんから。
 
どちらにせよ、
そこに至るまでも含めて色々あって、
軽く、いえ、わりと重度の人間不信だったわけです。
 
信じるか、信じないかはともかく。
酷い時は、家族の言葉も攻撃のように聞こえましたね。
よく、ここまで立ち直れたものです。
 

セールスライティングの勉強に、慰められました

そんな状態にあって、
セールスライティングの勉強は、
気晴らしでもありました。
 
もちろん、家族からは、
「何を買ってるんだ?」
「騙されてるんじゃないのか?」
と言うことも言われましたけどね。
 
その時は……
言いたくないですが、
何も言わずに拒絶していましたね。
 
そんな私にとって、
唯一の、と言ってもいい拠り所でしたから。
 
まるで、その勉強を否定されることが、
自分を否定されるかのような、
極端な考え方に、陥っていました。
 

チーム楠瀬(後のKUSUNOSE&CO. )との出会い

とは言え、そうやって勉強を進めていれば、
実際に、やりたくなります。
 
いくら言っても、勉強だけでは、
スキルは伸びませんから。
 
そうすると、
クライアントを取れないことに気づく。
仕事をもらおうとしても、上手くいかない。
 
そんな時、
「楠瀬健之パートナー養成会」
に、出会ったわけです。
 
その入会を決心したのは、
コピーのレビューを受けられる、
というところでした。
 
当然、クライアント獲得ができないなら、
フィードバックのもらいようがない。
だから、せめて疑似的なフィードバックを。
 
そう言う理由で、選びました。
 

謎のお声かけ、そしてネット広告チームへ

そうして「パートナー養成会」に入会して2ヶ月目。
なぜか、オフラインセミナーで声をかけられました。
 
そして、オウンドメディア(今でいうコンテンツ)を
やりたいって言ってるのに。
ネット広告チームに放り込まれたという。
困ったもんです(笑)
 
正直なところ、声をかけられた理由は、
今でもよくわかりません。
 
ただその時は、その場の勢いで飛び込みました。
実践の場が得られるのですから。
 

「変態」の風評被害

ネット広告をやってと言われても。
右も、左も、分からない。
数字だって、何を見ていいかわからない。
 
で、あれば。
 
『思いつく限り見るしかない』
 
です。
 
とりあえず、モノの本で15くらい見なさいと言う指標に、プラスアルファを。
最初は全部で、100種類近く見ました。
 
もはや、プラスアルファではないですが。
仕方のないことです。
わからなかったので。
 
それを、やってしまった結果。
晴れて、楠瀬さんより。
このThe Sales Writerでも、
たまに、枕詞(まくらことば)としてついてくる、
「変態」の称号をいただきました。
 
しかも、わざわざ「変人」を言い直して(苦笑)
 
まあ、パワーワードですからね。
「変態」って―
普通に、やめてほしいですが。
 
そこは「マーケティングの下僕」と言う言葉を免罪符に。
私自身も、放置してきた次第です。
 
唯一にして最大の問題は。
それが、マーケティングの役に立ったかどうかは、
最後までわからなかった、ということです。
 

人種の「るつぼ」チーム楠瀬

 

ネット広告チームは、楠瀬健之パートナー養成会では、
最初にできた、2つのスキルチームのひとつです。
 
当時のネット広告チームのリーダーはひなたさん。
私の場合は、ネット広告チーム入りと、
パートナー(仮)入りが、同時だったので。
 
最初から、直接、いろいろ教えていただきました。
その後、少しして同チームのサブリーダーに。
 
結構な数のやりとりと根回しの上に、
当時のネット広告チームは、運営されていました。
 
そうしているうちに、ネット広告チームでの取り組みを通じて、
植田さん、黒岩さんのパートナー入りが決まりました。
こういうのは、本当にうれしいことでした。
 
その他、小野さんとか、深井さんとか、森さんとか。
ネット広告経由でのパートナー入りではありませんでしたが。
現パートナーの方の、3分の1くらいは、
そこで絡みがありました。
 
そして今ではみなさん、それぞれ違う方向性を軸に、
活動されています。
 
それ以外のパートナーのほとんどは、
もうひとつのスキルチーム。
オウンドメディアチームをルーツにもっています。
 
どの枠でもないのは、
KUSUNOSE&CO. の社長、宮川さんと。
後は、甲斐さん兄弟です。
 
みなさん、なんだかんだで癖が強く。
面白い人たちです。
 
KUSUNOSE&CO. が動き始めてからは、
めまぐるしく、いろいろと変わり続けてきたので、
まだ、記憶の整理整頓が追いついていません。
 
ただ、このチームで、時にドタバタ、時にまったりと、
過ごしていくのもいいなあ、と、思っていました。
 

それでも、青春時代はさらに重かったです

そうは言っても、手放しきれないものもあるもので。
久しぶりに会った知り合いから、お誘いがありました。
自分の仕事を手伝ってほしい、と。
 
その仕事は、もともと、自分が学生・研究員、
と、関わりがあった分野のお仕事。
もう、諦めていたことに、また関われる。

さすがに、最後のチャンスだと感じました。
30代の後半に入ったのですから。
そして、その決断を、チームにも伝えました。
 

ありがとうございました

幸いにも、チームの方からは、理解を示していただいて。
気持ちよく、送り出していただけます。
 
積極的に、引き継ぎのために動いてくれたり。
配慮して、新しい負荷が発生しないようにしてくれたり。
本当に、ありがたいことです。
 
今、振り返ってみれば―
 
セールスライティングには、つらい時期を慰めてもらいました。
KUSUNOSE&CO. には、素敵な経験をさせてもらいました。
その結果、望んでいた場所に戻ることができます。
 
月並みですが、感謝、と言うほかありません。
 
セールスライティングに感謝しています。
KUSUNOSE&CO. に感謝しています。
そして、The Sales Writerの読者のあなたに、感謝しています。
 
ありがとうございました。