田舎の宮崎から上ってきて
東京の季節や気候をなかなか掴めずに、服装を迷ってしまいます。
どうも、デザイナーの甲斐陽信です。
先日、古いデザイナー仲間と食事をしました。
今はお互い、周りにデザインの話をできる仲間が居ないことから
居酒屋のメニューを見ながら
「ここはこうだ」
「せっかくならこれはこうした方がいい」
「これに比べたらこっちは良い」
「でもやっぱりこんな感じにしたい」
と、デザインの考察と(勝手な)レビューをして楽しみました。
とても充実した時間だったのですが
「今まで当たり前のこととして
意識したことはなかったけど
よくよく考えてみればなぜだろう」
という疑問が生まれ
またその回答らしきものに考えが至ったので
ちょっとまとめてみようと思います。
その疑問とは……?
二人共ほぼ同じデザイン理論を持っているのに、結果が違う
これはなぜだろう?
という疑問でした。
二人でデザインを考察する時
●どこに問題があって
●どうすれば良くなって
●どうすれば成立する
というようなデザイン理論を組みます。
私はかの友人があーだこーだと論じるのを
「ふむふむ、同意同意」と同じビジョンを共有しているのを感じながら聴いていました。
友人も私がそーだどーだと論じるのを聴いて
「ふむふむ、同意同意」と賛同してくれます。
しかし、もうひとつ共通で認識していることも合意できたのです。
それが
「同じ背景を持つ紙面の、同じ素材と同じコピーを、同じサイズで同じ作業環境で作っても、二人が作る紙面のデザインは全く違うだろう」
という確信でした。
人が違うのだから、結果が違うのは当たり前では?
と思う方もおられましょうし、それはその通りなのですが
よくよく考えてみれば不思議です。
両者とも、デザインを組む時は
感性やセンスではなく理論を重視するデザイナーです。
そしてほぼ同じデザイン理論を持っている。
それなのに、結果が違うことが分かってしまうのです。
結局「デザインは感性」だった?
よくよく考えてみた結果、
その違いは両者の「感性」の違いにより生まれるものだろう
という結論に至りました。
おいおい、結局感性かよ。
デザインに才能は関係ないんじゃなかったのか。
という声が聞こえてくる気がします……。
ここで読むのが嫌になっていなければ、
もう少しお付き合いください。
デザインの出来は理論の整合性の高さで決まります。
それは間違いありません。
しかし、それは実際に紙面を制作するという
「アウトプット」の場面で適用されるものなのです。
しかし我々はそれぞれ、趣味や嗜好が違います。
どんなものに魅力を感じて、どんなものに美しさを見い出すかという価値観は異なるのです。
そしてその価値観に見合うものを
普段の生活の中で意識的・無意識的にインプットしています。
だから
同じ背景を持つ同じサイズの紙面が用意され
同じ素材と同じコピーで同じ作業環境が与えられても
「こう表現したい」
「このエッセンスを大事にしたい」
「こういう印象を与えたい」
というコンセプトに個人特有の微妙な色が出るのです。
そしてコンセプトが違うから、それを屋台骨として組み上げる理論に違いが出るのであろう。
というのが結論として導き出されました。
つまり、結局どっちも大事
結局は、
デザインの実力を発揮するには
インプットする感性と
アウトプットする理論の両方が必要である。
ということでした。
過去にコーチングした方からは
「理論は分かったし、理解していると思う
でもまずアイデアが出ない。表現ができない」
という悩みをよく聞きました。
それはデザインをするというその表現の引き出しとして
普段のインプットが足りないからだったのです。
詳しくはこちらで書いてありますので、ご参考にされてください。
果たしてどちらが……?
そこまで話したところで、やはり話題が出るのは
「どっちの紙面が良いと思う?」
というものでした。
しかし両者ともデザインの出来は理論の整合性で評価するデザイナー。
そしてその実力は伯仲です。
さらにはお互いに自信とプライドがあります。
しかし、ここでもまた二人共通して
「二人ともお互いの理論の破綻は見いだせず
《どっちもいいね》
《あとはお店に好みのテイストを選んでもらおう》
という結論になるだろう」
という穏やかで無難な決着を迎えました。
お互いに認め、リスペクトし合えるデザイナー同士。
楽しいデザイン談義に花を咲かせながら、
夜は更けていくのでした。